2015年9月20日日曜日

マハレ50周年記念・公開シンポジューム  Public symposium of Mahale 50th anniversary

昨日、東京大学農学部にある弥生講堂で
マハレ50周年記念展・公開シンポジューム 「野生チンパンジー学の50年」が行われた。
西田利貞さんがタンガニーカ湖の中央にデベソのように突き出たマハレ山塊に入って、チンパンジーを追い始めたのが1965年であり、その後今日までマハレでのチンパンジー研究が続けられている。

ぼくはJICAの専門家として1994年から1997年までの3年間、マハレに滞在した。
JICAから与えられた任務は「国立公園の自然保護に係る技術指導」ということであった。
しかし、実際の仕事は、研究対象のM群の北に生息するB群を人付けするというものであった。
当時のぼくのマハレでの活動はホームページの自然・植物・動物→マハレ国立公園http://members2.jcom.home.ne.jp/fumio.fukuda/natureOK.html
や「アフリカの森の動物たち」を見ていただきたい。

ぼくがいた1995年にダルエスサラームでマハレでのチンパンジー研究30周年を記念して
セレンゲティ野生動物研究所(SWRI)とJICA共同主催によって国際シンポジュームが開催された。
その時、ぼくは英語、スワヒリ語ともまったくおぼつかないものであった。
上述の西田さん、川中健二さん、上原重男さん、さらにはJICAの富田浩造さん等の力があったからこそ
30周年のシンポジュームを開くことができた。

今回の50周年記念では、西田さん、川中さん、上原さん、富田さんが故人となっている。マハレでは、何度か前の3人と共に過ごした。また、富田さんもマハレまでたくさんのお土産を持ってぼくの陣中見舞いにやってきた。彼らの事が何度も思い出される日でもあった。

下は司会の保坂和彦さんとマハレからやってきたキトペニーさん。

「チンパンジー学の黎明期」の話しをする伊沢紘生さん
帰路、千代田線の根津駅まで、黎明期に伊沢さんや西田さんとともにブドンゴでチンパンジーを追っていた鈴木晃さんとともに懇親会場から歩いた。鈴木さんは現在もなおオランウータンをカリマンタンで追っているが、5年前に調査地で足を悪くして杖をついている。歳をとるとちょっとしたことでバランスを崩してしまうので、山歩きは気をつけなければならない。
懇親会場での酔いが回っていたせいか、あるいは千代田線の大手町から東京駅まで歩いたことがなかったせいか、
大手町の地下で30分くらい東京駅北口を探して歩き回った。
地下街でパニックになった時の恐ろしさをあらためて知った。

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