2014年7月23日水曜日

聞こえないクビキリギスの鳴き声  Sounds of a grasshopper that I can never hear.

夜8時頃、居間の窓は開け放している。
聞こえない!
え?鳴いている?
娘がうるさいほどすぐ側で鳴いているという。

嬉しいことに?悲しいことかな?連れ合いも聞こえないようだ。
娘が左手を上げた時が鳴いている時だという。
耳を澄ましながら網戸越しに耳を傾け、目は娘の左手を見続ける。
左手が上がった。が、まったく鳴き声が聞こえない。
娘は、え?どうして聞こえないの?と訝る。
「ジーーーー」というか「シーーーー」とと鳴いているようだ。
それは、毎年初夏になると鳴いていたクビキリギスだ。
ぼくが生まれた故郷の釧路でも夏の夕闇が迫ってくると、ホタルが飛び、この
クビキリギス Euconocephalus thunbergiが鳴いていたのだ。もちろん、子供の好奇心と執着心で鳴いているのを捕まえて竹籠で入れて飼ったこともある。

35,6年前にこの湘南台に引っ越してきてからも庭や線路沿いの藪で鳴いていた。
いつの頃からだろう。あの「ジーーーーーー」という鳴き声を聞かなくなったのは、、、、、。
娘は毎年今頃鳴いているよねと相槌を求められてもこちらには聞こえない。
連れ合いも同じように聞こえなくなっている。
洗濯機や炊飯器などの電気製品のお知らせ音がこちらには聞こえないが、
連れ合いはまだ聞こえる。
自転車の注意を促すチリンチリンという音が聞こえなくなってもう20年近くなる。
そのため、丹沢を歩いていても動物を見つける機会がほとんどなくなった。
動物を見つけるのは気配なのだ。気配とは肌で感じる微妙な音だ。
見つけることによってしか動物に出会えない。
幸い、鼻が利く。しかし、匂いで動物に出会えたのはイノシシくらいだ。キツネの匂いがしてもそこはすでに通った後だ。死骸を見つけられるのも鼻のせいだ。
(20140712唐沢峠で)
世の中の現象が、一つ一つ、聞こえなくなったり、見えなくなったり、味わえなくなったり、感じなくなるのだろう。そうやって生き物は死んでいくということが良く解る。

歩くのが遅い、血圧は高い、脚が浮腫む、身体が硬い、頻尿である。
ストレッチをしなければ、歩かなければと思う。

今日は、慶応春学期の試験だ!
帰宅したら250名分の採点と成績簿つけだ。
これが終わるとぼくの夏休みが始まる。

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