この写真は昨年11月3日の鍋嵐山頂から蛭ヶ岳(正面)を遠望したものである。
鍋嵐の山頂は狭い
先日、学生有志4人とともに堤川林道から能の爪の尾根を詰めて鍋嵐に登った。
お昼を山頂でとった。このときA君がサーモを落とした。サーモは山頂から斜面を転がっていった。
サーモがうまい具合に木の根元にひっかかるように止まったようだ。
学生たちがサーモが見えると云っている。
ぼくは、彼らとは背中合わせに座ってオニギリを食べているのでサーモがどのようになっているのか状態が判らない。
ぼくは彼らがそれを取りにいくものと思っていたが、諦めたようなので、食べ終わったら見てみることにした。
熱いカップ味噌汁とオニギリのお昼に満足し、彼らのところに行き、彼らが指差すサーモを確認した。
何?何だ!すぐそこにあるではないか!
4,5メートルも離れていない直下の木の根元にシルバーに光るサーモがある。
すぐ、右側に回りこんで少し下り、そこから木をつかみながらトラバースして4、5メートル先にあるサーモを取って戻った。
サーモを落としたA君はバランスが良いし、彼らの誰もがぼくがやったように取りに行けた筈である。彼らの方がぼくよりも柔軟で身も軽い。
それなのに何故、落としたサーモを諦めてしまう気持ちになったのか?
子供の頃の野山や川原での外遊び不足だ!
屋外での野球やサッカー、テニスでは培われないものが、外遊びにあるのだ。
ぼくは、イラクやアフガニスタンに米軍などや〇〇軍が軍隊を送り込んでもゲリラたちを押さえ込めないのは、先進国の若者による軍隊は野山を駆け巡ったことのないオボチャンたちの集まりでしかない。到底勝ち目は無いことをそろそろ認識すべきである。
もっとも、権力を握る者たちはそのような認識をもてるとは思えないが、、、。
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