2010年6月21日月曜日

子供には立ちション!

     日曜日も学校だった。
このところ専門学校では、土・日と高校生向けのチャレンジキャンパスが行なわれている。
高校生向けに話しをしなければならない。

子供の数が減少してきているので、学校関係は必死に生徒や学生を確保しようとしている。
チャレンジキャンパスにやってくる子供たちはいろいろだ。
学校の様子を見にきただけ、友人についてきただけという者から、
先生の話し方教え方を見て考えよう、学校の雰囲気をみて考えよう、
中には、この学校のこの専攻に決めているという者までいる。
反応の良い子供ならば、話しているだけで楽しくなり、時間を忘れてしまう。
花も育てたことがない。金魚やメダカも飼ったことがない。
野山をハイキングしたことがないという者も多い。

さまざまな住宅事情、家庭環境で育った子供たちだが、共通していることがある。
それは、木に登ったことがない、野山を駆け巡ったことがない、川で雑魚獲りをしたことがない。
それは、公園や学校では「木に登るな!」、近くの川や湖では「危険につき入るな!」とい看板があり、それを学校や家庭でも指導している
そのために子供たちは野外遊びができなくなっているんだと思っていた。

しかし、そうではない。
「禁止」の看板のせいだけではないのだ。

最も大きいのは「おしっこ」を野外ですると「犯罪だ!」
という意識が子供にあることだとわかった。
今の学生たちのほとんどは「連れション」や「立ちション」をしたことがない。
「連れション」から生まれる仲間意識を知らない。
「立ちション」から生まれる開放感を知らない。
仲間と一緒に並んで野原でオシッコすることは「違法」で「犯罪」だ考えている。

どうだろうか?
小学生までは屋外での「立ちション」を認めてやったらどうだろうか?
どこでも「立ちション」ができるとなれば、川遊びも野山での遊びももっともっと増えてくる筈だ。

子供たちに断崖から谷底に向かってオシッコをする気持ちの良さを味合わせてあげたい。
あるいは、真っ白な雪の上にオシッコで字や絵を描く楽しさを開放感を味わってもらいたい。

3 件のコメント:

  1. 立ちション大賛成です。子供の頃に自然に触れその危険性と楽しみを知ることで以後の成長がまともになると思います。無菌状態で培養されたような子供たちには生きる喜びやバイタリティが生まれようがないと。

    都会の子供たちが田舎に行かないのはトイレが・・とか。穴を掘ってきちんと始末することすら知らない。牛糞や馬糞は肥料にするのに人糞の肥料化だってもっと努力して欲しい。

    昔の登山は自然の中で飢えと渇きと危険と重労働に耐えて、耐えて得られる喜びを手にしたのに。今では完全な装備で武装し山のホテルでの飲食を楽しむだけ。

    時とともに変わるのが自然。富士山だって噴火で盛り上がっただけなのに、固めて崩壊を防がざるを得なくなったのは人間が増え過ぎて過剰な対策が必要になったためと。

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  2. 学生たちが、感動しない。
    サッカーでは感動しているようなのに!
    始めて知ることや、始めて見る物であっても驚かない。
    こちら一人が大声でわめいている自分に気がつく。
    若者たちが感動の無い人生を突き進んでいる。気の毒な学生たち。

    そのような若者を生み出すような社会を作り出したぼくらが責任を感じなければならない。

    定年退職して今までの知識を生かすこともなく悠々自適の生活をしている知人友人がたくさんいる。

    今の社会や若者は自分たち大人が作り上げたのであって、第三者が作り上げたんではない。

    この自然からかけ離れてしまったおかしな社会を、もっと自然に親しめるような社会に、野原では立ちションができ、沼や川で雑魚獲りをして遊べる社会に作り直したい!

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  3. ブタをおだてて木に登らせるような・・手取り足取りでの教え過ぎでしょうね。教わることを当たり前と思って自分からの努力をしなくなる。親方の技術は盗むもの・・といった時代の気構えをもう一度振り返って欲しい。

    テレビやネットに流れた情報を通してしか世の中を見られない。情報過多で親も子供も自分の足で歩くことを忘れてる。物質的な豊かさにおぼれて精神的には貧困の渦に流されているような。

    手に届かなくても遠くから眺めて暖めていく「憧れ」の心を忘れないで欲しいんです。

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