2008年6月9日月曜日

ますますナタをもてなくなり、山道が荒れる。

秋葉原の通り魔殺傷事件で、町村官房長官がナイフなどの所持について考え直さねばならないようなことを云っていた。
以前は、登山するにも、サル調査をするにもナタ(鉈)は必需品であった。首から双眼鏡、腰にナタというのがぼく達学生時代の山歩きのスタイルであった。1980年代まではサル調査には必ずナタを持ち歩いた。ハイキング道や登山道、あるいは尾根道沿いの枝を払いながら歩くのが常であった。とくに、サルの移動を追跡していく時には、ブッシュを切り払ったり枝を切り落としたりしながらでないととてもサルを追跡できなかった。
人に出会いそうもない山奥を歩いていて、ナタを持った山仕事の男に遭うのは恐ろしい感じがした。相手もそのようであり、互いに挨拶をすることで気味悪さ、恐ろしさが消えた。

以前は山仕事の人ばかりでなく、山に入る多くの人がナタを持って山道沿いの枝などを切り落としてくれていたので、あるきやすかった。里山は頻繁に人々が利用するので、道沿いの枝が払われて整備されていた。

いつ頃からだろう。ナタを持ち歩かなくなったのは、、、?山に持って行っても、腰には下げないで、ザックの中に忍ばせている。電車やバスの中ではナタが鞘に納まっていたとしても人前で出すのがはばかれる感じがする。ザックに容れてあると、歩いていて邪魔な枝が張り出していても、あるいは倒木があったとしてもほとんど使わないですましてしまう。
ぼくが山に行くのにナタを持ち歩かなくなったのは、山道が整備されて歩きやすくなったからではない。逆に現在の山道は枝が突き出していたり、倒木で塞がれていたり廃道と思われるくらい荒廃している。何となく、人々がナタを持っている者に対して非難しているような視線を感じるからである。

それは、人々がもっている「自然保護思想」が、ナタを持っているだけで、樹木を切って、自然を、森林を破壊してしまうような人と感じてもいるようでもある。

何年か前に丹沢で同定できない木があったので、枝を30センチくらい折ったところ登山者に「枝を折り取るようなことは止めて下さい」と注意された。あるいは、学生が実習で採集した数種類の枝をビニール袋に容れてザックに括りつけていたら、「盗掘はやめろ!」と云われびっくりしたことがある。

里山の山道だけでなく、ハイキング道や登山道も荒れている。それをナタを持って歩くことによってハイカーが登山者が一人一人、山道の整備をすることになり、気持ち良く歩くことができる山道の復活になればと思っていた。しかし、今度の通り魔殺傷事件によって、ナタの持ち歩きに更なる規制が掛けられるようにならなければと思う。もし、規制が掛けられるなら、ますます森は荒れて人々は森の素晴らしさ楽しさから遠ざかってしまうことになる。

0 件のコメント:

コメントを投稿