2008年3月31日月曜日

ネズミやリスによるエビフライ

竹蔵丸の船長さんへ:エビフライのことが気になり、Colins Guide to ANIMAL TRACKS and Signsの115ページには、マツボックリのリス、ネズミと小鳥たちの食痕のイラストがあります。
上はドイツトウヒ、中はマツですね。下は、左から13のスイスマツ、14・15はカラマツ、右はカナダトウヒ、右端のナッツはイチイです。
ヨーロッパアカリスSciurus vulgarisは約600グラムで同属のニホンリスより倍くらい大きいですね。
Colins Guide to Animal Tracks and Signsを是非図書館で見るか、取り寄せて見るなりしてください。

2008年3月29日土曜日

奄美大島からマングースの宅急便

丹沢から帰って写真をパソコンに取り込んでいると、宅急便が届いた。連れ合いは、「資料(肉)」なんて書いてあるけど死体でしょう?と非難がましく云う。送ってくれたのは、環境省奄美野生生物保護センター、クール宅急便で冷凍だ。思わずヤッター!と顔がほころんでしまった。ダンボールを開ける前に、2年前に奄美大島に行った教え子に感謝のメールをする。

新学期が始まるので授業の用意をしなくてはいけないので、しばらくはぼくの部屋にある冷蔵庫(冷凍庫が欲しい!)に容れておいて、腐敗しないうちに処理しなければならない。幸い、胃内容物の検査で内臓類は除去してあるようだ。いずれにしても一週間以内に剥皮して除肉し、水を容れたバケツに浸さなければならない。

奄美大島は、国の天然記念物「アマミノクロウサギ」が生息している島である。猛毒をもつハブを殺してもらおうとマングースが移入された。マングースはアマミノクロウサギを含む奄美大島の固有の動物たちをも捕食していると考えられる。それで、マングース大捕獲作戦が環境省の指導の下に行われているのである。マングースはどの程度ウサギを捕食しているのかを調べるために、捕獲したマングースの内臓は除去され、胃の中身が調べられている。解剖の任に当たっている職員には、御苦労様ですと労いの声をかけたい。一方、捕殺されたマングースに合掌!

2008年3月27日木曜日

老母の歩き方

昨日の金沢林道の帰路、見つけたベニマシコ。15枚くらいシャッターを押したうち、これが割合ピントが合っていた。
釧路では、今年91歳になったお袋の散歩に付き合った。2キロくらいの道のりを50分くらい掛けて歩く。足を引きずって歩く、膝を上げて歩くことができない。まるでコンパスのごとく後ろの足をそのまま前に引き出そう?とする。前に歩みを進めるのは、身体の重心の前方への移動と同時にどちらかの足が前方へ出されなくてはいけない。この二つが首尾良く行われることで、前へ歩きつづけることができる。
が、大腿、膝、足がまるで一本の棒のようになって前に出される。膝が上がらない上につま先が上がらないので、少しの段差があるともう、足を前へ出せなくなる。スロープのようなところだとスムーズに前に歩ける。

釧路のような街だと、どうにか老母でも歩くことができる。しかし、ぼくがチンパンジー調査でいたマハレ近郊の村々や、キゴマの街、あるいは、キンシコウの調査で行く西安から150キロ南西の秦嶺山脈の麓の村、これらの地域では老母が散歩することは不可能だろう。

散歩していると家ではイヌにしか声かけないのに、出会う人たちと挨拶を交わすことになる。外出することは刺激を与えて、肉体ばかりでなく精神をも活性化させていることが判る。

老人たちに優しい道路は障害者にも優しい道路である。
だが、一方でそのような道路で育った若者は、膝を上げないで、つま先を上げないで歩き、老人たちと同じように足裏を引きずって歩く。そのため、登山道を若者と一緒に歩くと、彼等は度々木の根や倒木、石などにつまずく。膝やつま先を上げて歩く当たり前の歩きができなくなってしまっている。

2008年3月26日水曜日

春の丹沢

25日に4時半に起きて、丹沢を歩いた。我が家から厚木まではサクラの花はもう3、4分咲きというところ、コブシやモクレン、レンギョウが咲き、春満開である。
松茸山を1時間半かけて登る、アセビの白い花、クロモジやダンコウバイの奇妙な形の黄色の花やヤシャブシのリスの尻尾のような花穂、キブシの花が飛び込む。
足元には、ナガバノスミレサイシンが咲いていた。
26日、今朝はK.Y.さんと金沢林道をあるいた。下はキブシの花。この花つきの枝が生花の材料として釧路で使われていた。
ちょっと早いんじゃーないと思った。モミジイチゴの花。
週末はお花見だ。

2008年3月22日土曜日

ハナダイコン (ショカツサイ)の思い出

ハナダイコンOrychophragmus violaceusはアブラナ科エゾスズシロ属である。この花にはショカツサイやアラセイトウという名前もある。

中国が原産であることは知っていた。
2月、3月のキンシコウ調査が終わる頃になると、秦嶺山脈の麓の山はモモの花を含むバラ科の樹木の花々が咲き、足元には薄紫色のハナダイコンの花が咲いている。
野山の春は素晴らしい。
桃源郷とはこんなものかと石に座る。

2008年3月17日月曜日

釧路湿原道路

サルルン展望台からの帰路、新しくできた釧路湿原道路を通って帰宅した。見ての通り、ぼくが運転している車以外、一台の車も見当たらない。
車から降りて、阿寒方面を撮った。クリックすると右の高台の上に釧路市湿原展望台の建物が写っているのが確認できる。
この道路は、一体全体何のために建設されたのだろうか?この数年間、帰省する度に中学生の頃釣りした新釧路川を溯上しようとすると、この建設工事のために行く手を阻まれていたのである。工事中は一直線に埃が舞い上がっていた。
http://www.mars.dti.ne.jp/~koitiro/hokkaido-tikamiti/kushiro/00Map-kushiro.html

湿原を東西にブッタ切るように道路が作られている。上のアドレスをクリックして下さい。

今後、この影響が湿原の環境に悪影響を及ぼすことは目に見えている。


環境省はどのような理由の下に、道路建設を許可したのだろうか?日本の省庁の中でもっとも力が弱い部署のため、圧力に屈してしまったのだろう。

ナワバリと人の生活

美容室から戻ってきた妹は、「あの店は夏前には閉めてしまう」と残念がっていた。付近に他に4軒も美容室ができたので、食べていけなくなってきたからのようだ。

どんな脊椎動物でもナワバリ(あるいは行動域)を形成する。個体でもつものもいれば集団でもつものがいる。群れて生活しているメダカでも金魚鉢に5、6匹入れるとナワバリを形成する。

ナワバリとは同じ仲間に対する個体や集団の空間的占有地域であり、同種の社会を秩序づけている。

私たち人間は集団生活をしているが、さまざまな状況で個人が持っている動物的ナワバリ感覚が表れる。いろんな状況の場所取り、席取り、順番待ちである。
花見で良い場所を占めるには、早朝から敷物を敷いたり、杭を打って紐を廻らしたりして自分の場所を宣言し、確保する。以前の小学校の運動会の父兄席はそうやって家族の場所が占められた。占められた場所は、他人が犯すことはできない暗黙の合意がある。
この場所取りが、電車や映画館の自由席の席取りに変わるが、これも一度占められた席を力づくでどかそうとはしない。席が空くと待っていた人がそこを占めることができる。つまり、順番待ちである。順番待ちの列に割り込む者は非難を浴びる。

ナワバリの機能は、場所取りとか順番待ち以外に、私たちの経済社会でも存在していた。お風呂屋、床屋、酒屋、米屋、クリニング店、雑貨屋、魚屋、肉屋はその地域に応じた数のものが存在していた。あるいは、タクシー会社やバス会社の数までも、それぞれの組合や連合会が互いに自主規制していた。
この自主規制は資本主義経済が生まれる前からあった素晴らしい制度であり、経済生活の歴史とともに必然的に形成されたものであると考える。

しかし、今は、消費者に安くて質の良いものを提供しようということで、規制を緩和して自由競争させる政策が大事にされている。その結果、いたるところに理容室ができ、過当競争の中で、市場調査などできない昔からあった個人の経営規模の小さなお店がつぶれていっている。新たに参入した店もやっていけなくなり、目まぐるしく変わる。釧路の街にどうしてこんなにタクシーが走っているのと不思議に思うくらいだ。これでは皆食べていけなくなり、消費者に安くて質の良いものを提供できなくなる。

大手のスーパーマーケットやコンビニ、安売り店の出現によって多くの地域の商店が消えてしまっている。また、この大手のスーパーやコンビニ間でも過当競争が行われるため、ある日突然、目の前にあったスーパーが消えてしまう。建売住宅の宣伝文句には「付近には、コンビニやスーパー、安売り店があり、便利」とうたっていたのだ。 が、5年もたたないで様変わりしてしまう。寒々とした荒廃した地域社会を作り上げているものに、この競争による経済界の不安定さがある。

今の政府は市民生活のことを考えていないので、市民生活の面からみた経済社会を見直す必要がある。市民生活には、順番待ちのようなナワバリ機能が生かされているのに、経済生活では、それが行政の力で取り払われてしまった。以前のような銭湯組合、理容組合などの自主規制がある程度必要ではないのか、そうすることで、社会秩序が維持され、人々が安心して生活できるのではないのだろうか?

2008年3月16日日曜日

サルルン展望台

最初に見つけたサルルン展望台近くのフクジュソウ一輪
近くにまとまって咲いていた。まだ、蕾の頭だけ出したばかりのものが多かった。
エゾジカの足跡。さすがにデカイ。
エゾジカ道がいたるところに走っていた。帰路、3頭のメスジカが国道を横断するのに出会った。 コゲラであってますか?ミズナラの木をつついていた。
サルボ展望台から:遠くの山並みは知床連山。手前はシラルトル湖。
今朝、9時過ぎにお袋と妹を乗せて釧路湿原が見渡せるサルボ展望台とサルルン展望台へ行ってきた。車の窓から入る日差しが強く、ハンドルを握る手の甲が日焼けしてひりひりしてくる。
展望台の登り口に駐車する。そこから、階段を登らなくてはならないので、お袋とイヌたちを車に残す。階段をゆっくり駆け上り尾根に着く。久し振りに走った。そこから左手がサルルン展望台で右手がサルボ展望台である。下をクリックすると釧路湿原サルルン展望台がみられる。
エゾジカ道が縦横についている。また、足跡や糞もある。

サルルン展望台への尾根道で、木柵があらわれたところで、フクジュソウを一輪見つける。いろいろ眺めていると、後ろにも横にも蕾の頭をもたげていた。今日は暑いと思えるほど日差しが強いので、午後には咲くのかもしれない。
湿原越しに阿寒の山々をみていたら、タンチョウが編隊を組んで飛んでいく。今度はサルボ展望台にいく。そこは、湿原を見張らせるように塔が建っていた。
釧路地方もようやく春が走ってやってきたようだ。が、サルルン湖の谷内坊主の水溜りをみたが、まだ氷が多く、カエルの卵は見つからず。

2008年3月15日土曜日

釧路川の水鳥

一昨日、釧路川で撮った水鳥を矢部康一さんに教えてもらった。上がコガモで、下はカモメの冬毛の抜け替わりの時のもののようだ。

カモというと旨い肉の代表みたいなものだが、一度も食べたことがない。カモシカはカモのように美味しいシカということで名付けられている。が、もちろんカモシカは天然記念物ということもあて、食べたことがない。一度でも味わってみたいものだ。
否、味わった。
キンシコウの調査地ではニホンカモシカの仲間が2、3種類いる。彼らが滑落して死んでいる(HPの「秦嶺山脈の動物たち」を見て!)。その肉を失敬して食べた。が、旨い! 美味!とはまったく感じなかった。ニホンカモシカは旨いが、他のカモシカの仲間はそうでないのか?
カモメまで名前が分らないなんて、まったく鳥痴である。ヒバリやカヤクグリやアオジなどの巣を見つける天才だったが、、、、、。

大学は生物科だったので、昆虫の名前、しかも甲虫だとか、甲虫でもカミキリムシだとか、チョウチョウの名前に詳しい者、鳥の名前に詳しい者、草木の名前に詳しい者がいた。

釧路では、セミは草むらで鳴いていて、ゆっくり手づかみできた。エゾクマゼミというようだ。上京して、近づいただけで銀バエのように飛ぶ、小さなセミたちが何種類もいるのでびっくりだ。チョウチョウもモンシロチョウ、キチョウ、アゲハ、キアゲハと、あとはタテハチョウの仲間が少しいるくらいで、セセリは大学で友人から教わるまでガの仲間だと思っていた(本当はもっともっとチョウが生息している)。

いずれにしても、種類が少ないのでコレクションするような興味がわかなかった。もっぱら、飼うことだった。が、多くは飼いきれなくて殺してしまった。鳥の巣を見つけ、孵化するまで毎日のように見続け、孵化したばかりのアカムクレの雛を持ち帰り殺したことになる。小学3、4年生くらいまでの話しである。

カジカとメメセン

今朝、知人が生昆布とカジカとメメセンを持ってきてくれた。カジカはあまりにもデカイのでさっそく腹を裂いて内臓を取り出し、美味しい肝臓などを取り分け、頭から出刃で縦に切り、ぶつ切りにしてボールにいれて、メメセンなどと共に兄貴の家に持っていく。

胃はドッチボールくらいに大きくなっており、裂くと、殻付きのツブやエビや溶けかかった得体の知れない魚などが一杯入っている。ツブの殻だけを取り出して、胃だけ煮てもおもしろうそう。
カジカはグロテスクなので小さな画像にしました。もちろんクリックするとデカクなります。

カジカの味噌汁はあらゆる味噌汁の中でもこれほど旨いものはないだろう。と思うくらい素晴らしいダシが出て旨い。サカナの肉、そのものは煮ると硬くなってたいしたものではない。だから、でかい頭も出刃で叩き切ってダシをだすためにいれる。山吹色の肝臓が旨いので子供の頃は随分欲しがったものだ。

カジカは味噌汁でしか食べたことがない。生の時はアンコウのようにフニャフニャな肉だ。下半身の肉の部分を唐揚げにしてみよう。

メメセンは釧路の方言でキンキのことである。いただいたメメセンは20センチ以下の小型のもの。どうするか?メメセンは鱗を落として、開いて塩をふって一夜干しにするか、あるいはワタをだして、塩一摘みを入れてひと煮して、熱々のところを大根おろしで食べるか、、、これが、好きだった。このメメセンは小さいので、薄醤油で煮る? 

今日は、お袋の二人での夕食なので、昔のように、カジカの味噌汁とメメセンは煮て大根おろしで食べることにしよう。もちろん、ビールは欠かせない。

2008年3月14日金曜日

流氷乗り

上の写真は3月11日のお昼前のものです。
ぼくの話しを聞いて実家の釧路ふたば幼稚園では、子供たちを連れて21年ぶりという流氷見物にいきました。
そこで、流氷に乗って遊んだのがこれです。
この後、ぼくがお袋と義姉を連れて行ったのですが、その時には海岸には降りられないように立ち入り禁止の標識が付いた柵が設けられておりました。

ここは、市が作った砂浜で 、暖かい季節にはここで子供たちが裸になって遊んでおります。
どうも、良心的な市民が園児が流氷の上で遊んでいると知らせたのでしょう。そのためにぼくらが行った時には立ち入り禁止になっていたわけです。

子供を引き連れていった妹の話しでは、この流氷は砂浜に打ち上げられたものなので危険ではない、市はすぐ立ち入り禁止の看板を立てると憤慨しておりました。

危険にさらされたことの無い子供はどのようなことが危険なのかわからずに、あるいは適切な行動ができずに大人になっていく。

この煽りを受けて、ぼくはオンザロック用に流氷を持って帰えることができませんでした、、、。残念!

「子供の頃に、海に浮かぶ流氷の上を飛び歩くのは楽しかった」とお袋が懐かしがっていた。

2008年3月12日水曜日

子供の距離感と大人の距離感

3月9日に釧路川下流域で見つけたキンクロハジロ(矢部康一さんにメールで教えてもらう)。双眼鏡で見ると冷酷な目をしたカモです。どうもこれらはオスグループのようです。
子供の時は、お正月からお正月の丸1年は永遠にありそうなくらい長いものだった。あるいは、朝起きての朝食からから夕食までの時間は随分長く感じた。いつも空腹を忘れるために外をとびまわっていた。それが今ではすぐやってくる。先ほど、朝食を食べたと思ったらもう夕食を食べなくてはいけない。今年ももう桃の節句を過ぎてしまった。すぐ、新学期で端午の節句、梅雨がきて、夏休みとなっていく。
子供と大人では、このような時間感覚の違いはどのような原因・理由によって起きるのだろうか?子供の時間は密度が高く濃いもので、大人の時間は密度が低く希薄に感じる。

還暦を過ぎたぼくの記憶の中でも7、8割を子供の頃の記憶が占めている。子供の時間は密度が濃いから当然であろうか?「三つ子の魂百までも」という諺もあるし。この問題は宿題である。

釧路に来て、お袋とイヌたちを連れてゆっくりと1時間くらい散歩している。子供の時すごく遠方の地に思っていたようなところが、こんなに近いところにあったのかと驚いてしまう。

子供の頃の距離感と大人になってからの距離感がまるで違う。子供の頃は見知った町内から外れるともう不安になる。自分の安心できる地域というものと既知の地域が同じである。一歩、既知の地域から外れると、もうそこが100メートル離れようが、1キロ離れようが同じくらい不安で遠い地域にきたという感じをもつ。
子供が認識している地域が非常に狭い範囲であるのに対し、大人はかなり広い地域を認識している。これは、子供と大人の持っている情報量の違いであるだろう。大人は実際に行ったことのない地域でもさまざまな情報によってその地域を認識しているが、子供はたとえさまざまな情報が与えられたとしても情報を読み解くための経験が不足している。

この子供と大人の距離感の違いを情報を読み解く能力や経験の違いとするならば、個人によって距離感の違いがありそうだ。あるいは、絶対距離が同じであっても、その地に通勤通学している者ならば、そうではない地は遠くに感じる。同じ湘南台に住んでいる人にとっても、池袋を近いと思う人もいれば遠いと思う人もいる。恋人が池袋にいるならば、距離は関係ない。

となると、距離感の相違は、情報量とその分析能力、認識力、さらには自分の身が置かれた状況との情緒的感覚の違いであろうか? 
いずれにしても、大人になって認識世界が広がり、広がったために世界が狭く感じ、距離感が短くなっていく。

2008年3月11日火曜日

二日間だけの流氷接岸

流氷は今朝にはもうなくなっていたようだ。二日間だけの接岸だった。昨夕からの北風で沖合いに流されてしまったようだ。今は、雪が降っている。道東地方には流氷情報が天気予報とともに流れる。
昨日、早朝は一人で、午後からは91歳になるお袋と義姉を連れて流氷を見に行った。その帰り、義姉のナビで釧路港を車で見て回る。子供の頃、釣りをした岸壁は今は立派な埠頭になっており、大きな船が係留されていた。「ん?そうや!まさか、あのそうや?」 出てきたコックのような乗組員に聞く。「これでは南極の氷の海は無理です。」と応えられて、あれは宗谷だったことに気がつく。海上保安庁の沿岸警備艇だった。
岸壁と船との間で、中高年の人たちが寒そうに釣りをしている。チカであった。写真を撮らせてもらう。このバケツの人はぼくらの後から来て釣り糸を垂れた。皆一斉に「来た!」と言いながら次々に竿を上げる。2匹釣れ、3匹釣れとなってあげる人もいる。チカの群れが丁度回遊してきたようだ。道理で、近くのスーパーで10匹で50円で売っていた訳だ。フライではなく煮魚にした。
ぼくも小学低学年の時は鼻水を袖で拭い、手はしもやけ、アカギレ、イボ状態、頬はシラクモといった当時の子供としては普通?の姿でチカ釣りをしたものだ。当時の釧路は漁港で持っていたので、川魚や沼で釣れるワカサギはニワトリの餌であった。が、チカやコマイ、カレイは違った。カレイは釧路川の中流でも時々釣れた。当時はアクアリュームの設備など皆無だったので、カレイを水槽で生かして飼うことができなかった。
今日も、近くのスーパーに魚を見に行くと、20センチ前後の小さなコマイ14匹が180円で売っていた。もちろん買い、すぐハラワタを出して塩を振り、一夜干しにする。寒風に晒すだけで美味くなる。お袋も妹も、何故か肉好きだ。ぼくが帰省すると美味しい海産物が味わえると喜んでいる。釧路には新鮮で美味しく、しかも安い魚介類があるのを忘れてしまっていたようだ。明朝の味噌汁の実は100円で売っていたタチ(タラの精巣)だ。
近隣で採れた、獲れた季節の物を食材に使っていきたいものだ。


2008年3月10日月曜日

流氷接岸

今朝は早起きして、千代の浦海岸に流氷を見に行く。21年ぶりに釧路沿岸に接岸したと昨日のTVでやっていた。沖合いにあった流氷が昨日のお昼頃に海岸に着く。ぼくが二日前に見にいった時は遥か沖合いにあった。

流氷は樺太やシベリアの川や海で生まれたものが、春とともに太平洋に流れ出し、親潮に乗って釧路沖まで流れてくる。それが、銚子沖まで流れないで、南風によって、釧路沿岸に辿り着く。

流氷にはオホーツクの哺乳類も一緒に乗ってくるので、見渡したが確認できず。波間にはカモの仲間が20羽くらい漂っていたのと、カモメの仲間とカラスが数羽流氷の上で羽を休めていた。

昨日、今日と温かい、流氷到来とともに春が戸を叩いている。

2008年3月8日土曜日

釧路沖の流氷

釧路沖に5年ぶりに現れたという流氷を見にいった。車で20分くらいで千代の浦海岸にそびえる紫雲台墓地に着いた。ここの南端は断崖になっており下は海である。それぞれのお墓の前まで車で乗り付けることができる。南端まで行き、遠くの海を見ると、流氷が遠くに帯状にひしめいている。

子供の頃、朝礼で、「流氷の上に乗って遊ばないように!」と挨拶があった。あるいは「川を流れ下ってくる氷で遊ぶことは危険である」と云う注意があった。

それでも流氷に乗って遊ぶ子供が多かった。流氷に跳び乗るには勇気と瞬発力が必要とされた。滑って落ちれば氷の下の海や川の中である。
そのような子供たちの遊びに大人もいちいち干渉しなかったし、怪我をしたり、死んだりしても親は嘆き悲しむだけで誰も責めなかった。

2008年3月5日水曜日

ギンナンの溜め糞とイチョウの木

下の写真は、2004年11月に学生と奥湯河原の尾根道を下った時に見つけたタヌキのギンナンの溜め糞である。この事に関しては拙著「野生動物発見!ガイド」のP.91を読んでみて! 北海道の生まれのぼくにとってはイチョウの木にギンナンがなっているのを見たのは上京してからであり、まして地面に落ちている実を拾ったのはずーと後になってからであった。

一つ拾ったが、あまりの悪臭に捨てた。が、その後異変が起きた。小便をしたあと、何故か異様に陰部が痒いのである。それが銀杏の腐りかけた実を拾ったために生じた症状と知ったのは、陰部がかなり爛れた頃だった。

ギンナンは大好きである。茶碗蒸しに容れたのは無論のこと、封筒に容れてレンジでチンし7、8個パン、バチ、パンと弾けたのを見計らって取り出して、そのまま食べるのも旨い。

教え子のK.K.さんから今年も庭で採れたという綺麗なギンナンが送られてきた。下の袋のギンナンは送られてきたものの一部である。適度に柔らかく美味だ。 山の中でイチョウの木が生育しているのを見たことがない。イチョウは中国原産で、渡来してきてから有に1千年?以上は過ぎているだろう。

ギンナンを植えると翌年には芽が出て実生のイチョウの木を育てることができる。奥湯河原のタヌキは街まで降りてギンナンを拾い食いしてきて、それを糞として排出している。動物たちは果実を食べて種子を排出することで種子分散をおこなっている。

果実のタネの多くは腸内を通過することによって発芽しやすくなるようだ。そのため、木の実のタネを発芽させるには、お風呂の残り湯に一晩浸けておくと発芽しやすいと園芸の本などには書かれている。

しかし、山中でイチョウの木が生育しているのを見たことがない。発芽しかかった時、あるいは腸内で綺麗になったギンナンは今度は別の動物に食べられてしまうのだろうか?例えそうだとしても里山であっても、山中に一本もイチョウの木がないのはどういう訳だろう。

我が家の狭い庭にでもネズミモチ、ピラカンサ、マンリョウ、キューイフルーツまでもが鳥の落し物によって芽生えてくる。山では、実生のイチョウの生育を阻害するどんな要因があるのだろう。

今年始めてのフキノトウとムササビ確認

昨日、自然探索仲間のK.Y.さんと奥湯河原の天昭山神社に行く。途中の河原でフキノトウを摘む。まだ、フキノトウの季節としては10日ほど早い。今夜はこれを酢味噌和えで一杯やるのが楽しみだ。ぼくはビデオの1台をスギの木の三つの穴に向け、もう1台を軒下の一つの穴にセットし5時にスイッチを入れる。Yさんは別の軒下の穴にビデオを向ける。幸いなことに雨が止んだ。
Yさんは防寒対策に早くも羽毛服、ズボンを着始める。

5時03分:突然、アオゲラがキョキョキョキョッ!とけたたましく啼いて杉の木の幹に止まり、飛んでいく。ウン?穴から出たの?二人ともわからない。
5時55分:もう辺りは真っ暗、前の藪の木がぼーっと白い人が立っているように見える。すでに、ぼくのビデオは2台ともテープが終わったようだ。赤く点滅していたものが見えない。上を見上げると神社の屋根やスギの幹が空にシルエットとして見える。
6時10分:穴がたくさんあるスギの幹にムササビが頭を上にしているシルエットがある。「出た!ムササビ!」と小さな声を出しながら右手で指差す。Yさんは見たかな?と思いつつ、カメラを向けようかどうしようか判断が下せないうちに見えなくなる。5秒くらいも見ていただろうか?
「飛んだ!」と二人同時に声にならないような声をだす。神社の屋根の遥か上を真っ黒な座布団が飛んでいった。

Yさんの話しでは飛んでいったムササビが途中の木に着木して「グル、グル」とムササビ特有の声を出していたようだ。マラリアを何度かやって以来難聴になってしまったぼくには聞き取れず。

穴がスギの木にも神社の軒下にもたくさんあるから、まだ出てくるだろうと待ったが待ちきれず、ミゾレが降り始めてきていたのでビデオを回収し始める。

6時20分:神社の天井を走り、軒下からでるような音がした。その頃はヘッドライトをつけていたので、目は暗闇に慣れず、明かりが届くところしか見えず。

ムササビを確認したことで満足し、山道を下る。これが雨で滑るのと、これほどゴツゴツとした道だったのかと思うほど、ヘッドランプに照らされた道に難儀する。舗装された平坦な道に慣らされていた自分たちを知ることになる。

2008年3月2日日曜日

お祈りをするサル


アンコールワットの遺跡を観光してきた丹沢サル観察し隊のT.Yさんから面白い写真が送られてきた。
サル(これはニホンザルと近縁なカニクイザルのオトナオスですね)が進入禁止の遺跡の門前で一心に何かを祈っているようだったと言うのです。で、彼の心を乱さないように近寄って撮ったのが上の写真です。

辺りに人影はなく静かな森の中の寺院の遺跡のようです。

サルだから遺跡の寺院の前でこのような姿勢でいるとT.Yさんでなくても祈っているように思いますね。

では、このサルは何をしているのかとというと、その格好から休息して目を閉じているところだと思います。ニホンザルでもチンパンジーでも樹の又に腰を下ろし、両手、両足を会わすようにして休息することがあります。周りに他のサルたちがいたらなら、群れ内でも順位の高いサルでしょう。周りにサルの気配がなかったらなら、ソリタリー(ハナレザル:群れから離脱して、他の群れに移籍する途中か、群れとは一見関係なく生活しているサル)で、気温30度で静かな森の中で眠くなったものと思います。





2008年3月1日土曜日

ドングリの春

5時半に家を出て、およそ1時間かかって目的地の奥野林道ゲート前に着く。イワナやヤマメなどの釣りが解禁されたようだ。今日は随分渓流釣りの人たちの車がとまっている。サルのことを聞くと、金沢林道や神ノ川林道で群れに出合ったことがあると教えてくれる。

奥野林道は雪が凍っており、滑って歩きにくい。馬の背を過ぎて狐の面の岩場が見えるところまで行く。ここから見える蛭ヶ岳や丹沢山の雪に被われた北斜面が見える。

引き返して、松茸山に行くことにする。マメガキのタネが入ったタヌキの溜め糞とテンの糞を見つける。
階段を登る、ここは日向になっている。歩いていると暑いくらいだ。
ミズナラのドングリがまだたくさん落ちている。ネズミたちや、リスもイノシシもサル、シカ、カモシカも今年の冬は飽きるほどドングリを食べたことだろう。
ドングリを登山靴で踏んで潰してしまわないように注意して歩く。
どのドングリの種皮も割れて胚が赤褐色になってむき出しになっていて、根がでて地面に伸びている。
美味しそうだ!南斜面は春。

     振りかえって見る蛭ヶ岳の北斜面は寒々しい。北斜面はまだ真冬。