生まれ故郷の釧路は人口も15万以下になったようで、子供の頃中心街・繁華街だった所を含めて市街地が寂れている。繁華街はシャッターが下されと倉庫街のような雰囲気だ。釧路駅にもfreeWiFiが無いのは少し驚いた。が、仕方がない。
富士見町には小学校1年まで住んでいた。そこで、市立病院の火事や湖陵高校の火事を目にした。市立病院の火事では空が赤くなり、大きな燃えた柱などが飛んできた。親父が屋根に上がってバケツで大きな火の粉を消していた。二つ上の兄は親父に水を運んでいた。こちらはただ歯をガタガタ言わせながら立ち竦んでいた。湖陵高校の火事は風が海側に吹いていたので、我が家から燃えている建物の柱が良く見えた。その時は歯はガタガタ言わなかった。火の粉が飛んで来ない安心感が子供心にあったのだろう。
富士見町に住んでいたころは月見坂を下りて春採湖でワカサギやフナ、トンギョ、ドンコなどを釣って遊んだ。釣ったワカサギは竹老園の鳥たちに与えたりした。持って帰ってもワカサギはすぐ死んだ。当時の魚を飼う容器は、粉ミルクが入っていた缶や欠けたタライであった。
家から春採湖は結構な距離があったが、今、グーグルマップで見ると500メートルそこそこである。また、月見坂は急な坂道で橇で滑り降りるのも怖いくらいだった。手作りの橇に乗り両手は橇の端を掴み左足で舵を取った。
図1.月見坂を見下ろす
月見坂を下まで降りずにその横にある喫茶店月見坂に入り、コーヒーを頼む。店はママさんのお喋り仲間の溜まり場のようだった。
図2.茶店月見坂
住んでいた仏教釧路幼稚園(図3)の前を通り、出世坂降りる途中の公園のトイレで用を足す。以前は下りかけた左に図書館があったが、今は別のところに移動したようだ。図3.仏教釧路幼稚園
出世坂は高校の時、クラス仲間の藤森や繁康などと帰る時に一緒に降りたものだ。藤森も繁康も逝ってしまった。図5.出世坂を下る
出世坂を降りるとすぐ幣舞橋を渡る(図6)。当時の橋はどのような橋だったか覚えていない。今は橋の両側に女性像が並ぶ。プラハのカレル橋の偉人像を思い出した。しかし、カレル橋は幣舞橋の3倍くらい長い。図6.幣舞橋、出世坂方面を見る
図7.幣舞橋欄干の素敵な女性像
幣舞橋を渡ると釧路駅に向かう北大通りで、繁華街であった。そこで各自の自宅方面のバスを待った。一人で歩くと遠い昔の記憶が浮かび上がってくる。昔は、魚の匂いが立ち込めていたが、今は、釧路港に停泊している漁船もほとんどなかったし、街全体が寂れていて寂しい。






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