TVでニュースが終わってから北京オリンピックの女子アイスホッケーをやっていた。日本とスウェーデンの試合である。2対1で勝っている。パックをストックで操って走るスピード、激しいぶつかり合い。体格では同じように見える。日本女子がスウェーデンのキーパーまで攻撃に出てきた間隙にパックを取りす早く落ち着いてシュートだ。これが決まり、勝負が決まった。
アイスホッケーは厳冬期の2月頃の新釧路川に流れ込む仁々志別川沿いに作られていたリンクで十条製紙工場の選手たちが、厚い肩パットを着け、分厚いグローブのような手袋をし、顔を覆う鉄でできたマスクをし、まるで剣道着をつけたような感じで氷の上を走り回り押し合っていた。十条製紙と他のチームの試合があると見にいった。寒風吹きすさぶなか、こちらはアノラックの襟を立てて見ているだけなので、寒さで足踏みしながら見たものだ。
このアイスホッケーのスケートリンクは氷面の上から1.5メートルくらいが、頑丈な板の柵で囲まれており、その囲いの中で選手たちが激しくぶつかり合っていた。氷が溶けて春になると川の水が入って、リンクの中の水は深さが50センチくらいになった。そのためリンクは小さな子供の雑魚取りの遊び場であった。
春の温かい日、板で囲まれたリンクの中の水は温かくなり、水が澄んでいたので魚やヤゴの動きを板柵の上から覗き込めた。トンギョやドンコ、ドジョウを釣ったり、リンクの中に入って網で掬った。ウグイやフナの1センチくらいの小魚は二人がかりで両手で手ぬぐいを広げて持って獲った。トンギョの卵が入った巣をいくつも獲ってきては、粉ミルクの缶で作ったバケツに入れて持ち帰った。獲ってきた卵はタライや空き缶に容れて、その発生を見守った。が、ほとんどが卵が白くなって死んでしまったり、稚魚が生れたとしても日向に置いておくので水がお湯のようになって稚魚たちが死んでしまった。
そんな事をアイスホッケーの試合は思い出させた。
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