先日、家庭菜園をやっている知人から、根菜類をたくさんもらった。
大根、蕪、サトイモ、サツマイモ、水菜、サラダ菜、小松菜などだ。
サトイモは早速、煮物にした。ホクホクししかも粘り気があって美味しい。
大根は半分に縦切りにし、1日に天日に干して蕪の葉とともに漬物にした。
今日が食べ頃かな?
サラダ菜は鍋にして全部食べた。豚肉に鍋と合う。
ぼくの回りには定年退職して、家庭菜園に励む人たちが結構いる。
そのために、そのおこぼれに預かれるのだ。
おもしろいものだと思うのがこの家庭菜園だ。
それまでは、サラリーマンとして単身赴任をしていた知人、大学で教えていた知人、
小学生に教鞭をとっていた知人、その退職後の生活が家庭菜園に生きがい?を見出している。
しっかりした収穫を得ようとすると、家庭菜園は大変だ。
日々、手入れをしなければならない。
退職前はのんびりした、追われない生活を望んでいた筈だ。
それが、畑仕事に追われている。
農作物を育てることは、農耕民族の根源的生活だ。
それが、退職によって自由になったことで、自然回帰するように家庭菜園へと向かう。
連れ合いは退職してから、週2回ボランティアの仕事にでかけ、他は朝から晩まで
パッチワークに打ち込んでいる。
暇になったのだから美味しい食事作りにでも熱中してくれたらっと思うが、、。
そうはならない。ぼくらの世代はいくつになっても何か追われるような仕事を持たないと
生きていけない世代なのかな?それとも人はみなそうなのかな?
ぼくは、今のところ友人たちに習って身の回りの整理をし始めた。
サル関係の論文や論文集、学会誌、あるいは学生時代に買った〇〇全集などは
ブックオフに出したり、粗大ゴミとして出した。
スチールカメラで撮った写真などもデジタルに変換したものを除いて捨て去った。
でも、まだまだぼくの本棚は満杯でもう読まないものまでが並んでいる。
釧路の実家に帰った時、亡父母が読んでいた本を読むのが楽しみなので、
単行本類はこのままにして置こうかな?とも思うが残された家族はその整理が大変だ。
山用品も整理が大変だ。記念に残している登山靴やストーブの類がある。
これらも家族にとってはゴミとしか思えないだろう。
そして、なによりも「頭骨コレクション」だ。これは、未だに収集しているから捨てられない。
ぼくの定年は?いつをもって定年とするかそれを自分で決めなくてはならない。
野生生物探検隊隊長には定年はないでしょう?
返信削除まだまだ頑張ってくださいよ!
準隊員が2名増えました。
よろしくお願いします。
こちらのブログに追記しました。
take隊員へ
返信削除6時10分帰宅。手を洗いウガイをして、ウィスキーを飲んでほっとしている。
うん。ぼくは自分が生きている限り生活費を稼ぐ仕事をしていかないと生きていけない。
ブログでアップした知人たちのような将来(老後と云うようだ)の生活は望めないのだ。
でも、定年・退職後の悠々自適の生活憧れる。が、叶わない。
毎日、酒をおいしく吞みたい。赤提灯で友人たちと議論したい。山を歩き回りたい。それよりも恋をしたい。
枯れた生き方はできそうもない!
準隊員とは?
そちらのブログを見ます。