2012年8月18日土曜日

調査基地の玉皇廟村 Yuhuangmiao village of the research station of Golden Monkey.

10年前までは、西北大学のホテルを朝、出て、玉皇廟村に着くのは夕方であった。
もちろん、当時は高速道路は無かったし、周至から双廟子というキンシコウの保護区
の支所に立ち寄り、そこで四輪車からオートバイに後ろにリアカーをつけた乗り物に
荷物を含む一切を移し替え、運転手以外の人はその荷物の上に乗って
断崖に作られた細い道を行った。
土砂崩れを取り除き、壊れた橋をなおしながら進んだのだ。

それが、今回はどうだ一度の乗り換えも無しに、荷物の上に乗ることもなく。
なんと、昼過ぎの一時には玉皇廟に着いたのだ。
しかも、車は小さな車ではなくゆとりある大きな車であった。大学の車であり、
10年前とは隔世の感さえする。
(今回乗った車:周至で朝食をとった店の前で)
待機していた学生たちがぼくの重いトランクを含む、荷物の全てを運び入れる。
若い学生たちのきびきびした動きが羨ましい。
村は、周至の方から送電されていた。
これまでのような村の川に設置された水力発電ではないのだ。
しかし、村人の大半は西安などの大都市に出稼ぎに出ている。
研究施設の隣は、ぼくらがお世話になった楊さん宅であり、そこにママや娘の小風(シャオフン)
が帰ってきていると聞き、楊さんのところに挨拶に行く。
(下の写真はHPの自然・生物→キンシコウの秦嶺山脈→楊さん宅1の写真から)
シャオフンはこの時確か小学校1年生だ。
かって、ぼくらが宿泊に利用させてもらっていた楊さんのところに行くと、シャオフンの御爺さんがいて、シャオフンを呼ぶ。何という感激だろう。彼女も今日ぼくが来ると聞いて驚いたようだ。
互いに、手をとり目を見つめ合う。
なんだか恋人に再開したようで涙がでそうになった。
彼女は現在、西安の大学で英語を学び、第二外国語として日本語を学んでいるという。
今までは、ニーハオくらいの片言の中国語しか話しをしたことが無く、目を見て互いの思いを伝え合ってきたのだが、彼女は英語をぼくの数倍流暢に話し、日本語まで話す。
シャオフンは飛び級で村の小学校を出ていって寄宿舎生活をするようになったので、後からは
ときどき帰ってきた時にあったくらいだ。
この写真は彼女が目をつぶってしまっているので、別に皆で撮った。
なお、シャオフンは小風ではなく暁鳳と書くようだ。
小風も良い名だと思ったが、暁鳳という名は、今の中国の勢いを表していて
素敵な名である。
父親の楊さんは北京に出稼ぎに行ってるので、今夏は戻らないようだ。
翌日の夜、楊家に招待される。
写真は暁鳳にメールに添付して送ることを約束する。

楊家への挨拶を終えて、E氏と二人でカメラを持って村内を歩く。
道沿いはまるでお花畑である。
ツリフネソウの仲間が3種類あった。
一番、元気よく咲きほこっていたのは、シュウメイギク
と橙色が目立つエゾセンノウ(やまぼうしさんに聞きました)。
トウシャジン?
ウスユキソウ?
ヤマハハコ?
アスチルベの仲間
アカバナ科の仲間
まだ、たくさん花を撮ってきました。
この日の夜は、ぼくとE氏とスタッフの斉君と運転手の歓迎会で、45度近くもある白酒の
乾杯攻めにあった。

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