「煩悩の頭」と手書きでルビまでつけている。
ここから背中の南東の尾根を下るのだが、何故、ここを円山木ノ頭(中峰)と間違えたのか?
昨夜も夢うつつに考えていた。
思い込みだ。本間の頭から下って登ったら「円山木ノ頭」だと思っていたのだ。
だから、誰かイタズラシテ手書きしたな!という思いが強く。
地図をまったく見ようとさえしなかった。
「円山木の頭」からは南東の尾根を数度下ったことがあるので、何も考えずこの道標の後ろから突っ込んでいった。
下って、5分もしないでオカシイと思う。
左右に大きな尾根がある。オカシイと思うが、自分は円山木ノ頭から下っていると思っている。
ここでも地図を見ると良いのに、そうしようとしていない。
赤や黄色のテープや林班境界の杭もまったく無い。
違う尾根を下っているという思いが強くなってくる。
しかし、GPSで軌跡がわかるからどのように間違えたか楽しみだという思いも強かった。
とうとう尾根が絶壁になり、回りこみ沢を下ることになる。
が、立ち往生してしまう。
すぐ下に大きな沢が見える。が手がかりが無い。
上を見上げる。
写真を撮り終えて、サーモスの熱いお茶を飲み、カメラやショルダーバックをザックに入れ、ストックをザックのサイドに付け一休みだ。
まだ、この時もどうにかして沢へ降りようと考えていた。
沢歩きすると滑落した動物死体も拾えるだろうという気持ちが強かった。
戻ることにする。12時55分なので、ピークから一時間下ってきている。
これからが、足がつったり二の腕の筋肉が引き攣ったりで、酷かった。
勘違いの原因:年齢によると思われる頑固さだ!
こうだと思っていたことを訂正できない頑固さだ。
いつでも地図をみれば東峰と中峰の間にピークがあり、そこから短い尾根が南東に走っていることが分かるのに。何故、地図を見なかったのか?
自分でも今更ながら思い込みの恐ろしさ、間違いを認めたくない頑固さに驚いている。
これが、数名のパーティを組んで一緒に歩いていたらどうなったか?
ぼくのようなリーダーの言うままだと遭難したかもしれな。
間違いだと思ったら、すぐ訂正する頭の柔らかさが欲しい。
また、間違いを指摘され、それを受け入れるような人でなくてはいけない。
一般に、発見や驚きの感動は若いときほど大きいですね。
返信削除それは子供ほど無心であるからだろうと思います。
ですが、感動はすぐ抽象的な観念へと変化し、ものを符号のように見ようとします。大人ほど情報処理を早くするためそうなってしまうのでしょう。
私は常にそれとの戦いです。
頭の硬さと体の硬さは比例するのですかね?
前回は隊長に負けましたけど・・・.
ぼくは、子供の頃から身体が硬い。
返信削除柔軟で、立って前屈して手を下ろしてサッキポが床に着くかどうかだ。
もちろん、今は無理。
しかし、親父は80歳を越えてもぼくよりも身体は柔らかかった。
頭が硬いか柔らかいかは、他人の意見をどのくらい受け入れられるかということになるかな?
頭の硬い人と呑んでも楽しくない!