雲山さんが紹介していた本を東京駅北口付近の丸善で買った。
イヌと意志が通じ合う。これはイヌを飼ったことがある人なら誰もが理解できる。
さらには、ハエともコミュニケートする話しまで読み進んでいくと、これは普段ぼくが子供の頃から野山で虫や草木に行ってきたことだと思った。
ぼくは作者のようにイヌやハエを敬愛するまでにはならないが、野生動物の調査・研究・観察にとっては、研究対象物に対する研究者・観察者の気持ちはこうなければならないと思っている。
ぼくは、タンザニアでのチンパンジーの人付けに失敗した。
(理由を、HPのマハレの中で書いているが、)その理由はチンパンジーたちが生活する森の中で、ニワトリやアヒルを、あるいはブク(アフリカオニネズミ)やカンガ(ホロホロチョウ)を殺して食べたことであると思っている。
森の動物たちはぼく等によって殺されるニワトリたちの悲鳴を聞いている。
山小屋付近の動物たちにとっては仲間を殺す人間たちを知っている。
動物たちの「噂話し」がチンパンジーたちの耳にはいったのだろう。
ぼくは、1年目よりも2年目、2年目よりも3年目になる程チンパンジーに会えなくなったのだ。
最初に、一人で森に入った時は、誰かに見られていると思って振り返ったらメスのチンパンジーがぼくを樹上から見ていたのだ。
我部屋のハエトリグモ君が、今朝、居間で一人で食パンを食べているとテーブルにピョンと乗ってこちらにきたので、「ここは家族の場だから、ぼくの部屋に戻りなさい」と言うと、床にピョンと下りた。
天然記念物「臥牛山のサル生息地」のニホンザルの調査団長であった故川口四郎岡山大学名誉教授は、磯の海洋動物の専門家でした。
返信削除当時、80歳を越えていたと思われるのですが、若い人でも登れないようなコースを飄々と歩いてこられる方でした。
ある時、先生が台湾の海岸に行くと聞いて「わー、美味しいウニ、貝、魚たちが獲り放題ですね!」と先生に言ったことがあります。
すると先生は「福田君、海の動物たちは私の仲間なんですよ。彼らからいろんなことを教えてもらっているんですよ。」とぼくを戒めてくれた言葉を思い出しました。
興味深いお話です。
返信削除古くから色々な国の部族や宗教で、狩をする前や殺すとき食べるときに祈りや儀式を行っていたのも、自然界に許しを請う大切なプロセスだったのかもしれませんね。人も昔のほうがより彼らと近く通じ合っていたような気がします。
そうですね。
返信削除日本でもついこの間まで食事をするとき、「頂きます」、終わったら「御馳走様」と両手を合わせ、声を出して云ったものだが、このところ我家でもしなくなった。
私たちは野菜や果実、魚、ニワトリなどの生命を食物として頂いているのだが、その感謝の気持ちを何となく忘れてしまっていますね。
食物としての魚や豆や肉が、プラスチックやビニールに詰められることにより、命あるもの命あったものが遠くへ追いやられてしまったかのようだ。
先ず、食物に対する感謝の気持ちから入ることで、他の動植物にたいしての見方が変わってくるのではないだろうか?
と考えています。